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理想の母親像

フィンランド人は日本人よりも家族間の結びつきが強いように思います。
お母さんが成人を過ぎた子供、それも息子に毎日あるい週に数回電話をかけるのは普通のこと。
最初は慣れていないのもあってびっくりしたけど、今は家族を大事にしてるんだなって思っています。

彼のお母さんは、彼を含めた3人の男の子の母親。
私の尊敬する人で、ああなりたいといつも思っています。

彼のお母さんは、世間体やまわりの基準で子供をジャッジしない。
子供が本当に幸せならそれでいいという考えを持ってる。
例えば彼の兄Aは建築家としてヘルシンキの建築オフィスで働いているのだけど、それについて
「Aはずっと働いてばかりの人生で本当にいいのかしら。少しくらい海外で暮らしたりしたらいいのに。働いてばかりじゃなくて、新しい場所で気分転換したり、何か他に熱中できるものを見つけた方がいいわ。」
と言ったり、
絵を描くことが好きだけど工業大学に通っている彼に
「今は絵を描いていないの?昔はあんなに好きだったのに。今からでも絵の学校に行ってみたら?そうでなくても、また時間を見つけて描いたらいいのに。」
と言ったり。

普通だったら、就職して一人前に働くことが親の望むことなんじゃないかと思うし、それが子供にとっての幸福だと信じているんじゃないかと思う。
でも彼女はそんなことよりも、子供が何をしたいのかということを一番に尊重している。
そして、子供の長所を見つけていつも褒めてあげている。
「あんたはここがこうだからダメなのよ。」なんて絶対に言わない。

そして、子供たちが学校で作った工作や絵が全部取ってあって、いまだに家にディスプレイしてある。
彼の兄弟が芸術的才能に恵まれてるというのもあるけど、でもなかなかあることじゃないと思う。(そしてこれらはなかなか味があっていい作品ばかりなのです)

日本では「褒めること=甘やかすこと」というふうにとらえられているんじゃないかと思う。
でも彼のお母さんはなんでもかんでも褒めるんじゃなくて、褒められた本人も「ちゃんと見てくれていたんだ」と嬉しくなるようなことを褒めてくれる。

例えば私の家族がフィンランドに来た時、私が両方の家族の間に入ってずっと通訳していました。
フィンランドでの滞在が終わり、家族が帰った時、今までの感想よりも何よりも一番最初にお母さんが言ってくれた言葉がこれ。

「みんながそれぞれ楽しんでいる中、ずっと通訳してくれてありがとう。あなたがとても上手に通訳してくれたってJ(お母さんの親友)にも話したのよ。あなたののおかげで会話がスムーズに成り立ってとても助かったわ。あなたがいてくれて本当に良かった。」

私は両方の言語ができる自分が通訳するのは当たり前と思っていたし、みんなもそれが自然だと思っていると思ったので、通訳したことに対して特に何も考えていなかったのだけど、こうやってお母さんに感謝されてみて、ちゃんと自分のしたことを見てくれて、評価してくれる人がいるんだと思ってすごく嬉しかったのを覚えています。

人前で身内を褒めることはいいこと、日本みたいに身内を卑下したり、けなしたりしたくない。
例えそれが謙遜であっても、どうして必要以上に人を貶める必要があるのかな。

彼女は私の密かな理想の母親像。
いつかあんなふうになれるようにと、彼女からいつも沢山のことを学んでいます。

by nyyti | 2012-12-30 04:31